みなさんこんにちは。東北大学文学部のたいようです。ニックネームをどうしようかと考えたのですが、結局は本名をただいじっただけの「たいよう」に落ち着きました。別に太陽のような性格とかそういうわけではありません…。

 

私もこの蝦名研究室でアルバイトとしてお手伝いをさせていただいており、主に文化財マップの作業などをメインに担当しています。この仕事をしている中で感じることは、日本全国にはまだまだたくさんの文化財や名所があるということです。行ったことや聞いたこともないような所はもちろん、行ったことがある場所や馴染みのある地元でさえたくさんの発見があります。この仕事を通して更なることを学んでいければと思いつつ、またここで紹介できればと考えています。

 

 前置きが長くなってしまったので本題に入りたいと思います。私はアルバイトと同時にここで行われている古文書教室にも2年程前より参加しています。以前のブログでも紹介されていたように、古文書教室では史料の難易度の順を追いつつ様々な文章を読んできましたが、今回から私のブログの中で「竹駒詣」を紹介したいと思います。

 

 竹駒詣は私たちが古文書教室の中で最初に読んだ往来物になります。そして竹駒詣は往来物の中でも比較的読みやすい物にあたります。当時、子供が字を書く練習をする教科書として利用されていました。そんな子供が飽きずに学べるよう、古くからの言い伝えのある名勝や旧跡などがふんだんに紹介されています。

 

 では次に竹駒詣の概要を紹介します。竹駒詣は、江戸時代の仙台の街の中心であった芭蕉の辻を始点として、現在の岩沼市にある竹駒神社を目指すという内容になっています。道中は基本的には奥州街道を南下する道のりですが、奥州街道よりも西側の奥大道辺りから東側の太平洋付近までの名所を辿っています。

 

 今回は竹駒詣に出発する前に、簡単に道中の奥州街道について紹介します。奥州街道は江戸時代に主として使われるようになった道で、中世以前はもう少し西側を走っていた奥大道がメインとなっていました。また別名では江戸海道と呼ばれました。それは文字通り、この道をずっと南下すれば江戸に出ることができたからです。仙台城以南の奥州街道の特徴としては、仙台藩主の参勤交代に際して家臣の送迎の道として利用されたことが挙げられます。そのため道中の宿は発展していたと考えられています。

 

仙台城以南の宿は、長町宿(現宮城県仙台市太白区)、中田宿(現太白区)、増田宿(現名取市)、岩沼宿(現岩沼市)、槻木宿(現柴田町)…となっています。竹駒神社は岩沼宿の付近にあるので、竹駒詣では主に仙台城から岩沼宿までの奥州街道の道のりが紹介されています。現在の距離で約19㎞の平坦な道のりなので、今でも歩いて辿ることは出来るのではないでしょうか。(私はまだ全体を歩き切ったことはありませんが…)

 

 ここまで、竹駒詣の概略を紹介しました。次回からは本文の通りに道のりを辿りながら、名所を紹介していきたいと思います。芭蕉の辻からゆっくりと進んでいきますので、お付き合いいただければ幸いです。それでは、また次回!!

ブログ1