こんにちは。宮坂です。
 

今回で、『松嶋往来』は最後になります。

塩竈から松島へは海路で向かい、「扁舟に棹(さおさ)し八百八嶋(やおやしま)の眺望、誠にまつ嶋は扶桑第一の好風と賞し、爰に漂ひ」とその情景を描写しています。松島では、「御島崎」(雄島)から明月を眺め、瑞巌寺へと向かいます。瑞巌寺については、真壁平四郎が出家後中国に渡り、帰国の後に開山したということが紹介されています。真壁平四郎は法身性西で、現在、瑞巌寺境内には北条時頼と出会ったところとされる法身窟があります。 
 

それから富山に登り正観音を拝して松島を望み、平泉へと足を伸ばしていきます。「秀衡の旧跡は田野と成て金鶏山のみ形を残す、先高館に上れば衣川は泉ヶ城を廻り、大河に落入る、衣か関、光堂、此辺見所多候」とありますが、『奥の細道』の表現にならっています。
 

この後、山形へ出て、最上川や出羽三山を経て、象潟へと歩みを進めます。象潟は、かつて松島と並び評され、松島のように小さな島々が点在する景勝地でしたが、文化元年(1804)の地震で土地が隆起し陸地化しました。本書では、『奥の細道』の表現を引用して「松島に似てまた異なり、松島は笑ふが如く、象潟は恨むがごとしとかや」と評していますが、実は、この本が出版されたのは文化4年ですので、この当時、象潟は既に陸地化していたことになります。知ってか知らずか、既に過去のものになりつつあったはずの象潟の情景をそのまま描写しているというのは興味深いです。(写真:現在の象潟の様子。写真に見える小さな山がかつての島です。そこに生えている松も当時の景観の名残です。)
 

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これで『松嶋往来』の紹介は終わりです。全てを紹介することはできませんでしたが、このように、当時の文化に触れながら、崩し字を勉強していくことで、少しでも楽しく崩し字を学ぶことができるかと思います。