お久しぶりです。あざらしです。
 

 今回は東北地方太平洋沿岸にあるクロマツの防潮林についてご紹介します。この記事には東日本大震災直後の写真が含まれますので閲覧の際にはご注意ください。 


 10年以上前の出来事となってしまいましたが東日本大震災発生当時に、陸前高田市の「奇跡の一本松」の話などを聞いたことがあるかもしれません。宮城県沿岸にもこの防潮林は存在します。写真は仙台空港近くのクロマツの防潮林の現在の様子です。
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 私は仙台空港近くの集落にゆかりがあり、震災前は度々そこを訪れていました。クロマツ林は当時の私にとって時には遊び場となったり、時には食材となるキノコやお風呂の燃料とする薪を取りに行ったりしていた場所でした。地域の人にとっては昔からそこにあり恩恵を受け続けている里山のような場所でしたが、実はこの海岸林は人の手によって植えられ、管理されてきた人工林です。その歴史は江戸時代まで遡ることができます。

 1611年の慶長奥州地震津波後、沿岸部は塩害に苦しんでいましたが、これを克服すると新田開発事業によって新田が沿岸部まで拡大して行きました。当時の沿岸部には飛砂や高潮、潮風を防ぐものはなく、沿岸部の新田ではこれに悩まされました。その解決策として17世紀頃から藩主導で進められたのが沿岸部へのクロマツの植林事業です。クロマツは塩分を含んだ風や砂に強いという特性があったため選ばれたといいます。その後、クロマツは田畑を守ると同時に沿岸部の住人にとって里山的役割を担っていくようになりました。住人たちは震災前まで共同で林を管理し、時には薪やキノコなどの林の恵の恩恵に与っていました。林のゴミ拾いや手入れは地域行事であったと記憶しています。しかし震災により沿岸部の様子は変わり果ててしまいました。これは震災直後の様子です。
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 現在仙台空港周辺へ行くと震災による津波によって被害を受け、数を減らしながらも懸命に生きようとするクロマツたちを見ることができます。震災前を知っている私にとっては現在の本数が少なくなったクロマツ林を見ると様々なことを考えさせられます。隙間から見える海からこんなにも近かったのか、強くなった風からはクロマツたちがこんなにも私たちのことを守ってくれていたのかと。

 みなさんも沿岸部を訪れた際にはクロマツの防潮林にも注目してみてください。そして、クロマツの植林が始まった江戸時代、そして震災前まで確かにそこに存在した集落に思いを馳せてみてください。きっと今までと違った何かを感じることができるかと思います。