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みなさまはじめまして。今年度から入部したTTと申します。ブログで皆様にお話しするのも初めてなので、まずは簡潔に自己紹介させていただきます。

私は日本史研究室の修士課程1年で、近現代史を専攻しております。現在は幕末~明治維新期を中心に修論に向けた勉強を進めている所です。卒論の執筆の際に前島密の書いた崩し字が一切読めず苦労した経験があり、今年からこちらで勉強させていただくことになりました。これからサークルの皆様方と少しずつスキルを身に着けていこうと考えております。

7月2日に当サークルのメンバー5名で仙台の城下町を歩いてきました。現在サークルでは初級者向けの教科書として「竹駒詣」という往来物を使っております。これは仙台の城下の中心から岩沼の竹駒神社へ参詣するルートを記した観光案内のようなもので、今回のイベントはこれと同じルートを辿ってみようという企画になります。流石に岩沼まで半日で歩くのはかなりの強行軍になってしまうので、今回は城下町から長町までの5km程度を歩きました。当日は梅雨時にもかかわらず珍しく雲一つ無く、日傘が無いと厳しいくらいの快晴でした!

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まず、私たち一行は川内南キャンパスに集合し、そこから仙台城大手門跡を抜けて大町に入り、芭蕉の辻まで歩きました。現在は広瀬通、定禅寺通りなどが有名ですが、近世では仙台城大手門から東にまっすぐ伸びる大町通と南北に伸びる奥州街道(今の国分町通り)の2つが主要な通りとなっていました。この2つの街道が交わる町人町の中枢が芭蕉の辻で、現代では銀行や保険会社が並ぶ金融の中心となっています。「竹駒詣」の内容も「芭蕉辻を打立」つところから始まり、竹駒神社まで向かう内容となっています。

芭蕉の辻からは奥州街道を南町、柳町、北目町、上染師町と進み、ひたすら南下していきます。市街地の中心部は戦災と戦後の大規模な再開発によってかつての町人町の名残はほとんど残っておらず、点在する寺社がかろうじてかつての面影を残しています。

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田町を超えて荒町に入ると道幅が急に狭くなり、一転して旧街道の面影が色濃く残す町並みが見えてきます。この地区には近世以来の寺社が多く立ち並んでいます。明治期に仙台の曹洞宗を復興した昌伝庵や伊達氏とともに岩出山から移った仏眼寺、芸能興業が厳しく制限された藩政期に特別に認められた毘沙門堂、藩校養賢堂の門がそのまま移築された泰心院などがあり、境内の庚申供養碑に書かれた崩し字を皆で読むなどしつつ順番に巡りました。

荒町で寺社を巡った後は更に南下して河原町に向かいます。この地区には土蔵造りの商家の建物が数軒残っているのですが、最も古いものはなんと天明期(18世紀後半)の建築だそうです!

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更に河原町を抜けて広瀬川を渡り長町に向かいます。ここに架けられている橋は現在は広瀬橋と呼ばれていますが、明治後期までは長町橋と呼ばれていました。「竹駒詣」に「五件茶屋に暫く休らひ」という記述が有るのですが、この茶屋はちょうどこの長町橋の北岸で営業していたそうです。(1軒は場所を変えて現在も営業中だとか…)長町橋には人柱伝説があり、橋姫明神として橋の南岸に祀られています。橋姫明神から少し南下すると奈良時代の観音像があった常蔵院観音堂があります。東北歴史博物館の仏像の企画展で紹介されていたのでご存知の方も多いかもしれません。当初の予定ではここから仙台藩主の菩提寺である大年寺まで行く予定でしたが、時間の都合で断念しました。

今回は川内(仙台城二の丸)から長町までを約5時間かけて歩きました。往来物の記述ではほんの1ページ程度の行程ですが、歩いてみるとかなりの時間がかかることを実感しました。近世の人たちは今よりもずっとのんびりとした時間感覚で過ごしていたのかもしれません。

今回の内容は以上となります。お読みいただきありがとうございました。次回の歩く会は大年寺からスタートし、長町を更に南下して名取方面に向かう予定だそうです。それでは、またお会いしましょう!