
はじめまして。初めてブログ執筆にあずかります、文学部1年ツガル君と申します。
6月30日に、みちのく古文書同好会主催で、宮城学院女子大学の学生の方2名と共に仙台市内石碑調査を実施しました!
仙台市内には、「板碑」と呼ばれる供養塔が約500基存在し、日本有数の板碑の分布地になっています。
澱不動尊阿弥陀三尊種子板碑 拓本前(上) 拓本後(下)
みちのく古文書同好会で活用しているひかり拓本の技術を用いると、影などで見えづらい板碑の文字もはっきりと写ります。
3つの梵字が刻まれており、これは阿弥陀三尊を表しています。刻まれた年号を見ると、文永10年(1273)とあり、これは仙台市の板碑でも最古のものだそう。175㎝とかなりの大きさで、見事な優品でした。
弥勒院を経由し、次に向かったのは大崎八幡宮です。
参道の石階段の登り口の左側にある寛行院には、多くの近世の石碑が!
会員一同、蚊と格闘しながらも撮影を続けます。
陰を集めて拓本を作成します。
なかなか忍耐力が求められます。
大崎八幡宮の境内に入ると、当日は上半期の穢れを祓う、夏越の大祓が行われており、参拝者が数多く訪れていました。茅の輪くぐりを済ませて穢れを落とし、社殿に向かいます。
大崎八幡宮は、権現造では日本最古で、国宝に指定されています。豪華絢爛な様子に圧倒されました。
境内にある休憩所では、一杯200円で甘酒(ノンアルコール)をいただくことができます。ここで一同は疲れを癒しました。

参拝する会員 八幡神に何をお願いしたのでしょうか…?
その後、折からの雨に見舞われながらも来迎寺へ。ここにはモクリコクリ(蒙古・高句麗)の伝承を持つ板碑があります。仙台市内には、板碑の内容と一致しない物も含めて、蒙古襲来に関連する板碑が他にも存在します。仙台に蒙古の敗残兵が逃げてきたという伝説もあるそうで、九州から遠く離れた地にそのような話が伝わっているのは興味深いですね。その下を調べてみると、文字の書かれた石板を発見。断定はできませんが、未発見の板碑の可能性もあり、思わぬ発見に当日一番の盛り上がりを見せました。
止まない雨を考慮し、調査はこれにて終了。一同は川内にある「さわき」にて打ち上げを行いました。みんなで親睦を深めるよい機会になりました。
調査を通して、宮城が歴史的に重要な土地であったことを認識することができました。また、当日同行してくれた宮城学院女子大学の方々の、宮城資料ネットでの桜ヶ丘古文書プロジェクトの発表の様子は以下のリンクからご覧いただけます。
https://news.mgu.ac.jp/lac/news/5155.html
拙い文章でしたが、お読みいただきありがとうございました。
私は城郭考古学に興味があるので、いつかみんなで山城等に行けたらいいな…。
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