こんにちは。文学部もうすぐ2年のタイラです。前回に続き、今回も石巻巡見についてのブログとなります。前編では石巻市博物館で企画展「みちのくの金と金華山」を見た後、『金華山詣』に登場する「袖の渡り」を訪れました。


 
次に少々『金華山詣』を離れて、旧石巻ハリストス正教会教会堂を訪れました。真っ白な壁と和洋折衷の建築様式が素敵です。現存する木造教会堂建築の中では日本最古のもので、もとは新田町(現在の千石町)に位置していました。1978年の宮城県沖地震で被災したものの、保全を望む市民の声で現在の場所に移築し復元されました。2011年の東日本大震災でも大きな被害を受けましたが、2018年に工事が終了して再びその美しい姿を見せています。

 ハリストス正教はギリシア正教とも呼ばれ、キリスト教の一派に数えられます。石巻では勝又昱という人物が東京で正教の洗礼を受けたのち帰郷し、故郷の人々に広めたことから布教が始まりました。信徒は次第に増えていき、1991年にこの教会堂が建てられました。

 
旧石巻ハリストス正教会

青空に白い壁が映える


 教会堂を見終わった後は日和山へ向かいます。長い階段を登った先には…。

 

 まさに「日和」山というにふさわしい絶景が広がっていました!本文中では石巻に着いて一泊し、その翌日に日和山の鹿島神社と愛宕神社に参詣したとの記述があります。続けて「茶店に腰かけて遥か彼方を眺めていると霞がかった富士山が見える」とも書かれていますが、これはさすがに言い過ぎでしょうか……。何はともあれ、遠い昔を生きた人も、ここからの素晴らしい眺めに心を動かされたのでしょうか。見える景色は違っても、きっと感動は昔も今も変わらないはずです。


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疲れも吹き飛ぶ絶景!


 山を降りてしばらく歩くと、本間家土蔵がありました。普段くずし字や古文書について教えてくださる蝦名裕一先生が、震災時にレスキューを行ったということで知ってはいましたが、実際に見るのはこれが初めてでした。津波到達点のところにしるしがつけられており、近くに立ってみると想像よりもはるかに高く感じられました。

本間家土蔵

見上げるような場所にある津波到達点の文字


 地元の方に言われ近くの直売所をたずねてみると、石巻の歴史や古文書に造詣のある方に出会うことができました。そしてご厚意で本間家土蔵の所有者である本間英一さんに連絡を取ってくださり、なんと中を見せてもらえることに!

 

 本間英一さんは石巻若宮丸漂流民の会、石巻千石船の会に所属されており、震災を経ても奇跡的に残ったこの土蔵を後世に伝えようと修復を決断し、活動していらっしゃいます。

 

 本間家は近世から近代にかけて廻船業などでたいへん栄えた武山家の流れを汲む家で、多くの古文書が保管されていました。震災時は、6メートルもの津波で蔵の1階は天井近くまで浸水していましたが、2階にあった古文書や道具などは無事でした。

 

 看板には、

「私(土蔵)は残った。

私が生まれたのは明治三陸大津波の翌年明治30年、

西暦で言うと1897年だった。

隣にあった同じ年の双子の蔵は

今回の津波のため

倒壊してしまった。

私は多くの悲劇を生んだ

この311の惨状を後世に伝えるために、ここに建ち続けるだろう。」

という言葉が刻まれています。

 

 生まれて初めて蔵の中に入り、たくさんの史料を始めとする貴重な品々を見ることができました。この地に確かに存在していた歴史を感じ、当時の人々が紡いだ生き生きとした物語に触れられて、とても嬉しく感慨深かったです。

 

 盛りだくさんの巡見を終えて、覚えたことや知っていたことを、実際の展示や施設見学を通じてより強固で血の通った知識にすることができたと感じています。これからも、足を運んでみることや実物を見てみることを大事にしながら活動していきたいと思います。

 

 拙い文章にお付き合いくださり、ありがとうございました。またどこかでお会いしましょう。