皆さんこんにちは。
ブログではご無沙汰しております、下総介です。
八乙女館巡検、というか調査に行ってまいりましたのでご紹介致します。
最後におしらせもありますので、是非お付き合いください。
八乙女(やおとめ)というと、仙台では地下鉄南北線の八乙女駅周辺をイメージされるかと思いますが、訪れたのはそこから7kmも離れた七北田川の上流部になります。
もともと八乙女という地名は、中山団地と館団地の間にある狭隘な谷底にある地名です。そこを名字の地とする八乙女氏が開発を行った場所が、現在の八乙女駅周辺という訳の様です。
6月の陸奥国府巡検の際も触れましたが、中世の七北田川には舟運が想定されており、流域は地域的な結びつきが強かったようです。

<八乙女へと続く谷越しに、泉ヶ岳を望む>
さて、今回は中世の城館跡である八乙女城跡の見学/調査と、養老三滝不動尊の石碑群のひかり拓本採拓をおこないました。

<養老三滝不動尊石造物群>
今回ははじめての試みとして、お城の調査にこもんどうのメンバーでいってきました。
何を隠そう、私たちは北風の吹き付ける里山の片隅に、長い人は朝の9時半から8時間もいたのです。
お城好きでも、こんな小さい城になんでそんなに時間が掛るの、と思われるでしょう。
ご安心ください、そちらが正常な反応です。

<いざ、戦国時代のお城へ。>
中世の城跡の調査、というのは色々な方法がありますが、見学の一歩先の愉しみ方に、平面図を採る、というものがあります。ただラフにスケッチをする方もいますが、もっと細かい所まで迫りたい、ということになると、「縄張図」というものを描くことが多いです。

<図を描く人。※別日、利府町のお城にて。>
方眼紙と方位磁石を頼りに、自分の足で距離を測り、大地の形を視覚的にわかるように平面におこします。それも、ただ地形を表現するのではなく、城の遺構として評価できるものを、現状に即して正確に描く必要があります。
つまりそこに加わっている後年の変化(破壊や崩落など)を峻別して、どこまでを遺構≒「資料」として拾えると思うのか、観察者の思考の過程を、図上に表現するのです。そして城の細かい構造、つまりはどうやって人が出入りしていたかなど、古文書にはほとんど残らない情報を拾い集めます。そこから城の機能と役割をあぶり出し、地域史の中にそうした城が必要とされる状況を比定して、年代に結びつけられたら、、、というのが分かりやすいゴールです。そう上手く良くお城ばかりではありませんが。

<八乙女館の土塁上で議論する学生たち>
歩測ですから、考古学や土木工学の測量に比べると精度は当然落ちますが、慣れてくるとほとんど遜色ないものが出来ます。
そんなの、客観的な図面にならない、と思われる方もいるかもしれませんが、考古学の実測図であっても観察者の表現の成果物です。観察者が読み取れないものは図に描けないのです。大事なのは細かい位置ではなくて、遺構なのか、改変なのか、判断する目です。だから遺構が数メートル実際の位置からズレても、それがどのような機能を持って作られたのかが表現できていれば、資料としては充分なのです。全国には数万と言われる城がありますから、重要な遺跡であれば、それからもっと厳密な図面を作成すればいいはずです。
ご興味のある方は『歴史家の城歩き』という本をご一読ください。(これを読んでヌマる人が現れたらいいな、、、)

<木漏れ陽の中に佇む、八乙女館の遺構>
前座が長くなりましたが、八乙女館の調査では、この縄張図をとっていたのです。
実は八乙女館では、1996年に東北福祉大学の吉井宏教授が率いるゼミで測量調査がおこなわれ、のべ20日間をかけて測量図がつくられていました。それを基にした縄張図は2006年に市史に掲載されていました。測量図自体は公開されていませんでしたが、一昨年2023年に論文として公表され、調査過程と共に様々な情報が紹介されたのです。

八乙女館の特徴は、何といっても西側に折れを伴って続く横堀と、そこに作られている虎口(門)の遺構の残欠です。これは宮城県全体を見渡しても、ここまで整った形をしている場所は、数えるほどしかありません。吉井先生はそれを、本郷館(仙台市青葉区)などと類似する、として紹介されています。

<注目の門跡>
実はこの門の形をめぐる議論は、仙台城にも関係するのです。
私達「こもんどう」では、毎年春好例の仙台城御歩きの会を来年度も予定しています。
そこで紹介する重要なポイントとも、深く関わるともなれば、調査しない訳にはいかなかったのです。
石碑群の拓本をとり、図面をとり、畑の横、堀の底でわいわい喋って、おいしいお蕎麦を頂き、楽しく帰りました。

<めちゃくちゃおいしかった山形蕎麦!食後のプリンも最高でした。>
気になる調査の成果は、、、、

おも”しろ”い!
乞うご期待!

<帰り道のひとコマ。>
長くなっていますが、最後に。
縄張図とひかり拓本にはいくつも共通点があります。
・技術を体得すれば誰でもとれること
・高価な道具が要らないこと
・(比較的)簡易で早いこと
・必要最低限の正確性で出来上がってくること、などです。

<養老三滝不動尊石碑群 天保十一年銘の山神様>
ひかり拓本も、実際に墨で採拓するのと比べると、正確ではありません。厳密にはレンズの歪みによる微妙な誤差が生じます。天候などで、採拓するごとに、出来上がってくるものも変わります。それでも、文字が読めればいいのですから、「資料化」の性格としては縄張図と似たようなものですね。
これらは、学生にはピッタリな調査方法です。現物を見るのがなによりも大事ではありますが、見て、ふーん、では印象に残りません。
一つの資料にじっくり向き合って、これはなんだろう、とみんなでワイワイやって、楽しくご飯を食べて共有する。その中で何か一つでもカタチあるものを残せたらいいものです。
日々の古文書教室も、史料レスキューの体験も、たまの巡検で採るひかり拓本も、今回初めて取り込んだ縄張図の作成も、学生でもできることで、かつみんなでするからこそもっと楽しみが広がるものです。

<採拓の風景>
今日みんなで採拓した拓本から、大きな歴史像が浮かび上がってきた、という訳ではありません。でも、村の境界ってどんなところなのか、どんな意味が込められているのか、領域の中心のはずのお城がどうして境界にあるのか、そういうことを考えたり、考えていたことを覚えているのには、資料化という「経験」がけっこう有効だと思います。
その時間は思い出としてもかけがえのないものではないでしょうか。
新入生のみなさん、来年は私達と一緒に歴史に触れる「経験」の時間を過ごしませんか。
もちろん、在校生の皆さんも歓迎ですよ。
おまけに、
4月10日(木)C202教室、こもんどうのブースを開きます!
古文書の展示もあります!展示見るだけでもいいので遊びに来てください!
お待ちしております!
ブログではご無沙汰しております、下総介です。
八乙女館巡検、というか調査に行ってまいりましたのでご紹介致します。
最後におしらせもありますので、是非お付き合いください。
八乙女(やおとめ)というと、仙台では地下鉄南北線の八乙女駅周辺をイメージされるかと思いますが、訪れたのはそこから7kmも離れた七北田川の上流部になります。
もともと八乙女という地名は、中山団地と館団地の間にある狭隘な谷底にある地名です。そこを名字の地とする八乙女氏が開発を行った場所が、現在の八乙女駅周辺という訳の様です。
6月の陸奥国府巡検の際も触れましたが、中世の七北田川には舟運が想定されており、流域は地域的な結びつきが強かったようです。

<八乙女へと続く谷越しに、泉ヶ岳を望む>
さて、今回は中世の城館跡である八乙女城跡の見学/調査と、養老三滝不動尊の石碑群のひかり拓本採拓をおこないました。

<養老三滝不動尊石造物群>
今回ははじめての試みとして、お城の調査にこもんどうのメンバーでいってきました。
何を隠そう、私たちは北風の吹き付ける里山の片隅に、長い人は朝の9時半から8時間もいたのです。
お城好きでも、こんな小さい城になんでそんなに時間が掛るの、と思われるでしょう。
ご安心ください、そちらが正常な反応です。

<いざ、戦国時代のお城へ。>
中世の城跡の調査、というのは色々な方法がありますが、見学の一歩先の愉しみ方に、平面図を採る、というものがあります。ただラフにスケッチをする方もいますが、もっと細かい所まで迫りたい、ということになると、「縄張図」というものを描くことが多いです。

<図を描く人。※別日、利府町のお城にて。>
方眼紙と方位磁石を頼りに、自分の足で距離を測り、大地の形を視覚的にわかるように平面におこします。それも、ただ地形を表現するのではなく、城の遺構として評価できるものを、現状に即して正確に描く必要があります。
つまりそこに加わっている後年の変化(破壊や崩落など)を峻別して、どこまでを遺構≒「資料」として拾えると思うのか、観察者の思考の過程を、図上に表現するのです。そして城の細かい構造、つまりはどうやって人が出入りしていたかなど、古文書にはほとんど残らない情報を拾い集めます。そこから城の機能と役割をあぶり出し、地域史の中にそうした城が必要とされる状況を比定して、年代に結びつけられたら、、、というのが分かりやすいゴールです。そう上手く良くお城ばかりではありませんが。

<八乙女館の土塁上で議論する学生たち>
歩測ですから、考古学や土木工学の測量に比べると精度は当然落ちますが、慣れてくるとほとんど遜色ないものが出来ます。
そんなの、客観的な図面にならない、と思われる方もいるかもしれませんが、考古学の実測図であっても観察者の表現の成果物です。観察者が読み取れないものは図に描けないのです。大事なのは細かい位置ではなくて、遺構なのか、改変なのか、判断する目です。だから遺構が数メートル実際の位置からズレても、それがどのような機能を持って作られたのかが表現できていれば、資料としては充分なのです。全国には数万と言われる城がありますから、重要な遺跡であれば、それからもっと厳密な図面を作成すればいいはずです。
ご興味のある方は『歴史家の城歩き』という本をご一読ください。(これを読んでヌマる人が現れたらいいな、、、)

<木漏れ陽の中に佇む、八乙女館の遺構>
前座が長くなりましたが、八乙女館の調査では、この縄張図をとっていたのです。
実は八乙女館では、1996年に東北福祉大学の吉井宏教授が率いるゼミで測量調査がおこなわれ、のべ20日間をかけて測量図がつくられていました。それを基にした縄張図は2006年に市史に掲載されていました。測量図自体は公開されていませんでしたが、一昨年2023年に論文として公表され、調査過程と共に様々な情報が紹介されたのです。

八乙女館の特徴は、何といっても西側に折れを伴って続く横堀と、そこに作られている虎口(門)の遺構の残欠です。これは宮城県全体を見渡しても、ここまで整った形をしている場所は、数えるほどしかありません。吉井先生はそれを、本郷館(仙台市青葉区)などと類似する、として紹介されています。

<注目の門跡>
実はこの門の形をめぐる議論は、仙台城にも関係するのです。
私達「こもんどう」では、毎年春好例の仙台城御歩きの会を来年度も予定しています。
そこで紹介する重要なポイントとも、深く関わるともなれば、調査しない訳にはいかなかったのです。
石碑群の拓本をとり、図面をとり、畑の横、堀の底でわいわい喋って、おいしいお蕎麦を頂き、楽しく帰りました。

<めちゃくちゃおいしかった山形蕎麦!食後のプリンも最高でした。>
気になる調査の成果は、、、、

おも”しろ”い!
乞うご期待!

<帰り道のひとコマ。>
長くなっていますが、最後に。
縄張図とひかり拓本にはいくつも共通点があります。
・技術を体得すれば誰でもとれること
・高価な道具が要らないこと
・(比較的)簡易で早いこと
・必要最低限の正確性で出来上がってくること、などです。

<養老三滝不動尊石碑群 天保十一年銘の山神様>
ひかり拓本も、実際に墨で採拓するのと比べると、正確ではありません。厳密にはレンズの歪みによる微妙な誤差が生じます。天候などで、採拓するごとに、出来上がってくるものも変わります。それでも、文字が読めればいいのですから、「資料化」の性格としては縄張図と似たようなものですね。
これらは、学生にはピッタリな調査方法です。現物を見るのがなによりも大事ではありますが、見て、ふーん、では印象に残りません。
一つの資料にじっくり向き合って、これはなんだろう、とみんなでワイワイやって、楽しくご飯を食べて共有する。その中で何か一つでもカタチあるものを残せたらいいものです。
日々の古文書教室も、史料レスキューの体験も、たまの巡検で採るひかり拓本も、今回初めて取り込んだ縄張図の作成も、学生でもできることで、かつみんなでするからこそもっと楽しみが広がるものです。

<採拓の風景>
今日みんなで採拓した拓本から、大きな歴史像が浮かび上がってきた、という訳ではありません。でも、村の境界ってどんなところなのか、どんな意味が込められているのか、領域の中心のはずのお城がどうして境界にあるのか、そういうことを考えたり、考えていたことを覚えているのには、資料化という「経験」がけっこう有効だと思います。
その時間は思い出としてもかけがえのないものではないでしょうか。
新入生のみなさん、来年は私達と一緒に歴史に触れる「経験」の時間を過ごしませんか。
もちろん、在校生の皆さんも歓迎ですよ。
おまけに、
4月10日(木)C202教室、こもんどうのブースを開きます!
古文書の展示もあります!展示見るだけでもいいので遊びに来てください!
お待ちしております!
コメント