初めまして。文学部1年のささきと申します。
先日松島巡見を行いましたので、その様子をご紹介したいと思います。
我々新入部員は5月頃から週に1度の古文書教室で『松島名所文庫』という江戸時代の往来物を講読していまし
た。文章中ではタイトルの通り松島の名所旧跡が紹介されており、初等教科書としてだけではなく、旅行ガイド
ブックのように使うこともできます。
私たちはこの『松島名所文庫』から本格的にくずし字を読み始め、辞書を片手に悪戦苦闘しながらなんとか中程
まで読み進め、そして先日の巡見で文章中に登場した場所を実際に見に行ってきました。
当日は快晴でしたがそれに伴って気温も非常に高く、熱中症対策をしながらの巡見となりました。
仙石線に乗り松島海岸駅に到着すると、まずは松島の島々を周遊するフェリーに乗りました。
松島の沿岸には約260もの島々が浮かんでおり、その形や由緒をもとにして多種多様な名前が付けられています。
『松島名所文庫』には双子島、鎧島、かぶと島、牛島、蛇島など多くの島が登場しています。船内アナウンスを聞いたりやパンフレットの地図を見ることでこれらの島々を見つけることができます。
写真は鐘島で、4つの穴に波が打ち寄せると鐘が鳴るような音がすることからこの名が付けられたとのことです。
フェリーの後は、雄島に足を運びました。
『松島名所文庫』には雄島が本土と陸続きであるということが書かれています(実際は陸続きではありません)。
雄島には霊場としての側面と歌枕としての側面があります。
かつて雄島は各地から巡礼者や修行僧が訪れ修行する場であり、また死者の供養も行われてきました。そのため
雄島には岩窟や板碑が数多く存在し、中には島周辺の海底に沈んだままの板碑もあります。修行僧の中でも有名
なのは見仏上人、頼賢という2人の僧で、見仏上人については彼が読誦を行ったとされる見仏跡、頼賢については
「頼賢の碑」というものがあります。
雄島は歌枕としても古くから有名で、松尾芭蕉と弟子の曽良も訪れ、二人の句碑がそれぞれ残されています。
雄島からは双子島がきれいに眺められます。人影もまばらで東屋の日陰の中で少しゆったりとしました。
簡単な昼食をとった後は瑞巌寺に向かいます。
瑞巌寺の前身は延福寺という天台宗の寺院でしたが、鎌倉時代に時の執権北条時頼が禅宗への改宗を行い、名も
円福寺と改めました。
戦国時代を経て衰退した円福寺は伊達政宗によって復興され、以降は伊達家の菩提寺として現在に至り、昭和28
年と昭和34年には本堂と廊下がそれぞれ国宝に指定されました。
瑞巌寺の魅力はなんといってもその豪華な設えにあるでしょう。
孔雀の間や上段の間をはじめとする部屋の襖絵や欄間の彫刻は当時の文化の気風を大いに反映しています。特に
精密に復元模写された板戸絵はその大きさと鮮やかな色彩に圧倒されました。本堂の中は写真撮影ができないため皆さんにお見せすることができないのが残念ですが、ぜひ実際に足を運んで見ていただきたいです。
隣接されている宝物館にも様々な史料、絵画彫刻が展示されています。
瑞巌寺の見学も終わり、最後の目的地は少し離れて鹽竈神社です。
『松島名所文庫』の該当部分には、鹽竈神社の神宮の前の灯篭についての記述があります。この灯篭は藤原忠衡
(泉の三郎)が文治三年に寄進したものを指しています。
鹽竈神社がいつ創建されたのかは定かではありませんが、平安時代初期に編纂された『弘仁格式』によると当時
には多くの祭祀料を授けられていたことがわかっています。
広い境内には同好会メンバー以外に人影はほとんどなく、ゆっくりと周りを見て歩くことができました。
巨大な御神木。推定樹齢は800年にもなるそうです。
元々の予定ではもう少し別の場所を訪れる予定でしたが思いがけず1つ1つの場所に時間がかかってしまい、これだけで盛りだくさんの巡見となってしまいました。行けなかった所はまた次の機会に行ってみたいと思います。
この同好会に入ってからくずし字の読み方を勉強し、実際の古文書に触れたりと貴重な経験をさせていただいていますが、今回の巡見では板碑や岩窟、建築物など古文書以外の歴史にも触れることができました。高校までの授業と違い自分で古文書や歴史をを読む作業は難しくもありますが、歴史をずっと身近に感じられます。
これからもたくさんの助けを借りながらくずし字を学び、自分の力で歴史を読み解くことができるようになりたいなと思っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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