みなさんこんにちは。東北大学文学部のたいようです。前回から間が空いてしまいましたが、いよいよ竹駒詣の道筋に沿って名所等を紹介していきます。

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最初に紹介するのは、竹駒詣の出発点である芭蕉の辻についてです。芭蕉の辻は国分町から南町へと南北に走る奥州街道と、西の仙台城の大手門跡から東へと繋がる道の交差するポイントに存在します。仙台藩では奥州街道について、芭蕉の辻以南を「江戸往還道」や「江戸道中」と呼び、芭蕉の辻以北を「奥道中」と呼んでいたとされています。ここから芭蕉の辻が奥州街道の重要なポイントとして、そして仙台藩の交通の中心として認識されていたことが分かります。かつては四隅に城櫓風の立派な商家があったようです。

 

 現在も付近には金融機関などのビルが立ち並んでいます。また新しい石標も建てられており、「津軽三厩迄四十五次 百七里二十二丁 奥道中」と記されています。おおよそ「津軽の三厩宿まで奥道中を通って、あと45宿、10722丁(約422㎞)」という意味でしょうか。三厩宿は現在の青森県東津軽郡三厩村にあったとされます。奥州街道の最北端の宿駅にして、津軽海峡を渡る際に松前藩主らが利用した三厩港がある場所です。時期にもよりますが江戸時代には芭蕉の辻から三厩宿まで50の宿駅が存在したといわれています。

 

 本文の中では「芭蕉辻を打立て」とあり、ここから南(津軽三厩宿とは反対)の方向へ出発したことが窺われます。なお芭蕉の辻の名称の由来は諸説あるようですが、松尾芭蕉との関連はないと考えられているようです。

 

 次に紹介するのは五軒茶屋です。現在の河原町付近にあった5軒の茶屋が並んだ一帯のことを指しています。その内の1軒の対橋楼は平成元年ごろまで残存していたそうです。この地には当時の藩主の参勤交代時の逸話が残っています。江戸に向かう行列の先頭が次の宿駅である中田に到着するタイミングで、ちょうど藩主はこの五軒茶屋付近にいました。そのため藩主や重臣らは、この五軒茶屋で休憩したとされています。本文でも「五軒茶屋に暫く休らひ」とあり、仙台から南下する者にとって丁度よい休憩スポットだったのではないでしょうか。

 

 今回はここまでとします。次は大年寺を紹介したいと思います。