みなさんこんにちは。東北大学文学部のたいようです。
今回も竹駒詣に沿って名所等を紹介していきます。
前回は芭蕉の辻と五軒茶屋を紹介しましたが、
今回は大年寺の紹介をしていきたいと思います。
夫より広瀬川をわたり、
西に松山ハ両足山
大年寺、数丈の山門・
塔堂・伽藍麗しく、
鉄牛禅師の開基なり
この文章は大年寺を紹介する竹駒詣の一節です。
五軒茶屋を発って現在の広瀬橋を渡ると、西に大きな山が見えます。
それが現在の大年寺山であり、山の麓には大年寺があります。
大年寺は、仙台藩四代目藩主の伊達綱村によって建てられた黄檗宗のお寺で、
元禄9年(1696)に建築が始まったとされています。
このことからも分かるように江戸時代において大年寺は仙台藩の庇護を受けており、
文中にもあるようにとても立派な建物だったとされています。
しかし明治期に廃仏毀釈のあおりを受けてその多くが失われてしまいました。
現在残っている唯一の遺構であり、享保元年(1716)建築とされる惣門は、
昭和60年に仙台市指定文化財に登録されました。
ここで少し黄檗宗について触れたいと思います。
黄檗宗(おうばくしゅう)は承応3年(1654)に中国明の高僧の隠元禅師によってもたらされた禅宗の宗派です。隠元禅師はこのとき、インゲン豆も日本に持ち込んでいます。
そんな黄檗宗に傾倒したのが4代藩主綱村とされています。綱村の岳父の稲葉正則はかなり早い段階で隠元に出会い、それ以降パトロンとして支援していました。このような繋がりから仙台に黄檗宗が広められたと考えられています。
大年寺の開基として紹介されている鉄牛道機(1628~1700)は、
綱村がとても尊敬していた黄檗宗の禅僧です。
鉄牛道機が開山の祖と称している寺は全国に60以上あるとされており、
綱村以外にも様々な人々の信頼された人物だったと思われます。
また大年寺の最大の特徴が伊達家廟所菩提所があることです。ここには4代綱村以降の多くの藩主とその正室の墓が残っています。
今回は大年寺について紹介してきました。
次回は大年寺が建立される前のこのあたりの様子を振り返っていきます!
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