こんにちは。

さとうです。

 

今回はようやく「金華山詣」最終回となります。

 

長らく時間が空いてしまったので、前回の振り返りから↓

 

「金華山詣」は、仙台を出発して、最終的に金華山の神社への参拝をゴールとします。

前回の部分では、陸路で石巻へと向かいました。そして、現在も大きな鳥居や茶店があり、石巻市内を一望できる日和山の頂きから、港町の活気溢れる様子や遠い国の景色に想いを馳せます。

 

写真は数年前に日和山の上から撮ったものです。残念ながら曇り空なので遠くまでは見えません。

図2

 

「金華山詣」によれば、ここから富士山も見えたというから驚きです。高い建造物がないので随分遠くまで見えたのでしょうか。

 

日和山を降りてからは、いくつかの神社に参拝した後、船に乗ってさらに東へと進みます。このルートを通りましたよ、ということで、海沿いの浜や島の名前がずらっと並んでいるので、気になる方は「中編」に載せたマップを見返してみてください。

 

そしてついに、金華山と海を挟んで反対側の鮎川に至ったところから、後編がスタートします。

 

図2 .1

 

早天そうてんおきて、山雉峠やまとりとうけよちのぼれば、

黄金こかねおんやまは二十四丁離てうはなれ、

あさひ耀かゝやきまばゆいし華表とりゐより

しばらくたりてひとツの庵室あんしついた

相圖あいづかねつけば、むかふより

むかひの舟来ふねきたりてふもと着岸ちやくがんす、                                                         『金華山詣』

 

上の地図の真ん中よりやや右側の、「山鳥の渡し」を探してみましょう。字は違いますが、文章中にも1行目に「山雉峠」という地名が出てきます。金華山の参拝者は、この峠を越えて「山鳥の渡し」から船で金華山へと渡りました。現在もこの周辺の地域には“山鳥”の地名が残っています。

 

また、その左にあるマークの場所には、黄金山神社の一の鳥居があります。

『金華山詣』の文章中には、「あさひ耀かゝやきまばゆいし華表とりゐ」と説明されています。明治以前金華山が女人禁制だった頃は女性は金華山には上陸せずにこの鳥居から遥拝していました


さて、いよいよ金華山の描写に移ります。

 

↓現在の金華山を外から眺めた写真

図2.2

 

波打ち際の砂浜は黄金を敷き詰めたように美しく、また、鹿が人に慣れて餌をもらおうとする様子は奈良と違わない、と述べられています。

今も神の使いとされて鹿や猿が大切にされています。

 

それ以降は、現在も金華山で名所とされている地名がずらっと並びます。載せきれないので一部を以下に紹介いたします。

 

大金密寺たいきんミつじつきしばあし

やすめ、案内あんないいさなハれ辨財天べんさいてん

やしろはいす、

…(略)…

千畳敷せんぢやうしき御路地おろじさき黄金こかねさき

冨ヶ崎とみかさき浄土口じやうどくち行者戻きやうしやもどりいふなん

じよあり大箱崎おほはこさき辨財天べんさいてん竜宮出りうぐうしゆつ

けん小箱崎こはこさき十五童子出現じうごどうじしゆつけん

四天石してんせき御籠石おかこいし阿弥陀あみだ

ミねやま神社のかみしや愛宕社あたこのやしろ其外旧跡そのほかきうせき

おゝしといへどもこれをりやくす、

 

大分省略したものの、それでも最後には、その他にも旧跡が多くあるがここでは略す、と記されています。

 

1行目の大金密寺とは、神仏習合の時代に神社を管理するために置かれていた寺です。

この寺は、平泉の藤原秀衡や石巻城主葛西清重など、権力者による寄進を受けて、繁栄を極めました。また、修験者が次々と来山し、金華山信仰が各地で広まりました。

そして、明治2年には神仏分離令により、仏号を除いて再び黄金山神社となったのです。

 

最近感染が再拡大していますが、気分を落ち込ませないためにも、ぜひ落ち着いた後の旅行計画を立ててみてください。特に、昔の人が辿った道をなぞりながら旅すると、昔と今の不思議な繋がりを感じることができます。

 

「金華山詣」にお付き合いくださり、ありがとうございました。「3年続けてお詣りすれば一生お金に不自由しない」とも言われる黄金山神社へ、ぜひ参詣してみてはいかがでしょうか。

 

さとう